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日系2世としてアメリカに生まれ、広島で育ち、戦時中はツールレイクの日系人強制収容所で暮らしたジミー・ツトム・ミリキタニは、1980年代の後半からニューヨークの路上で絵を描きながら暮らしていました。彼が路上で何を感じ、何を思いながら絵を描いていたのか。2006年に公開されたドキュメンタリー映画「ミリキタニの猫」では、過去と向き合いながらアイデンティティを回復していく一人の魅力的な人物として描かれていました。 今回の企画展では、そのジミー・ツトム・ミリキタニが晩年に描いた作品およそ40点を、彼の「人生」の記録や、彼に関わった人たちの証言とともに展示します。米国市民権の放棄から、テロリズムを背景にした「不寛容」な時代の到来までの間に、猫をはじめとする限定的なモチーフを繰り返し描き続けた意味とは何か、来場された方々とともに考えてみたいと思います。
2018年8月25日(土曜日)から11月17日(土曜日)まで
(注)日曜は閉室。
9時30分から17時30分まで
東京都人権プラザ 1階 企画展示室
東京都港区芝2-5-6 芝256スクエアビル 1階
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無料
ジミー・ツトム・ミリキタニの絵画作品約40点
その他に解説パネル(年譜・証言ほか)、写真等約20点
2018年8月4日(土曜日)から8月24日(金曜日)まで
情報保障(要問い合わせ)、託児保育(要事前申込)
「ミリキタニの猫《特別篇》」(以下の2本立て)
「ミリキタニの猫」 原題:The Cats of Mirikitani
「ミリキタニの記憶」
ジミー・ツトム・ミリキタニ(三力谷勤、1920-2012)
1920年6月15日、カリフォルニア州サクラメント生まれの日系2世。
幼少時に一家で日本に帰国。両親の故郷広島で育つ。
1940年頃、アメリカに帰国。
1942年、ツールレイクの日系人の強制収容所に送られ米国市民権を放棄。
終戦後、市民権は回復されず各地を放浪。
1950年代〜1960年代後半まで東海岸の各地でコックとして働く。
1960年代後半、住み込みのコックとして働き始める。
1980年代後半、雇い主が死去。居住と職を失った後、路上生活が始まる。
2001年元旦、後に「ミリキタニの猫」を監督するリンダ・ハッテンドーフと出会う。
2001年9.11同時多発テロに遭遇。ハッテンドーフ宅に身を寄せる。
2006年4月、映画『ミリキタニの猫』完成。
2006年10月、映画『ミリキタニの猫』東京国際映画祭にて日本初上映。
2007年8月、広島平和記念式典にハッテンドーフ監督とともに参列。
2012年10月21日ニューヨーク、ルーズベルト病院にて、死去。享年92歳。
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